皆さん、こんにちは。
菊池大二郎です。
こちら村山では先日、徳内まつりが開催されました。
地元山車をはじめとして、今年から仲間に入れていただき、肌で感ずることも大変多くございました。
裏方に徹するつもりでしたが、踊り子を鼓舞する掛け声担当という大役を当日に仰せつかるという大ハプニングもあり、本当に色々楽しませてもらいました。
そのせいか、閉幕して二日目ですが、未だにお囃子の音が頭から離れず、声もガラガラです(笑)
さて、何事も肌で感じて初めて分かるというものかもしれませんが、まさにそのような体験の連続で、ふと気づかされたことも大変多くございました。
21周年目を迎えた今回の徳内まつりですが、10年ほど前がピークだったといわれています。現在では、残念ながら隆盛期から比べると参加者も観光客も少なくなってきたようです。
原因は色々あると思われますが、まずは根本的に徳内まつりとはそもそも何なのか、そこから始めなければいけないような気がします。
子供たちを始めとして、私も含めた大人世代も祭りの精神性を再確認し、全体で共有していく必要があると思います。具体的には、教育委員会等とも協力して、授業の1つとしてきちんと郷土史を発信していくこともひとつです。一部の人間に対してではなく、子供たち全体に。
また、魅せる踊りや魅せるパフォーマンス等、魅了する点にも重きをおいた運営も必要だと思います。各山車や掛け声や全体の演舞の評価を市内外の観客から行ってもらったり、送り手と受け手が刺激し合うような関係性も大事だと思います。
参加する団体としても、今回で現役の生徒が参加するのが最後となった山形県立楯岡高等学校(来春、統廃合)についても、引き続き有志の方々で参加してもらうことは出来ないだろうか。仮に、楯岡高校の精神性のようなものを年に一度の祭りという機会に確認できたら、それこそ文化ではないだろうか。
他に、高齢者や障害者の方々にも、何らかの形で参加していただくような機会を創出できないものか。
また、徳内まつりの雰囲気づくりとしても、もっと議論の余地があるのではないかと思います。
『明日からお祭りだ!』という感じが前日にあまりしなかったのです。例えば、前後一週間ぐらい、街中にお囃子が流れたり、のぼり旗、行灯や街灯が立ち並ぶ光景ぐらいあってほしいと期待します。
村山駅さんとも協力して、発車や到着の際の音楽を独自のものにするのも面白いでしょう。
祭りのとき以外でも使える巾着袋を編み出すのもよいと思います(街を歩くだけで、巾着袋が広告搭になってくれるのでは)。また、シリアル番号付き等でブランド商品をつくるのもよい。
何かと対立してしまいがちな警察を祭りに巻き込んで、警察にも山車や踊り子を提供してもらうのはいかがでしょうか。
他にも色々ありますし、私以上に面白い知恵を持った方がたくさんいらっしゃるはずです。
是非、閉幕したこの瞬間から、来年更にはもう少し先まで見越した検討を開始していきたいものですね。
微力ながら、私も協力して参ります。
ガンバロウ、むらやま!