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無題 第弐

皆さん、こんにちは。
菊池大二郎です。

更新がなかなかできず、歯がゆい日々が続いております。猛暑のせいかもしれません。それほど、山形・村山は暑い暑い毎日です。久方ぶりに住んで体感する山形の夏の暑さに本当に驚いております。まぁ、どこも暑いのは変わりないかもしれませんが。
どうぞ、皆様、水分補給などの体調管理のもと、熱中症にはくれぐれもお気をつけください。

さて、最近、政治的な話と言えば、安保法制や18歳選挙権、オリンピック競技場の問題などが世間を騒がせております。
特に、安保法制や選挙権に関しては、連日のように専門家の声や一般人の私見などで溢れています。

そこで、ふと思うのです。

いずれの大事にあっても、時の流れが解決し、流れ去っていくのだろうな、と。つまり、人間は善くも悪くも忘れる、忘れられる生き物だ、ということです。

安保法制というデキレースを国会で演じられているわけですが、成立しても成立しなくても、今この一瞬一瞬に我々に火の粉が降りかかってくるとは誰も信じてはいないし、だからこそ、成立さえしてしまえば、それはそれで忘れていくのだろう、と。

きっと何かが初めて起きてから、我々は気付く。
例えば、自衛隊員が殺されてから?

一方で、万が一にも廃案などになった場合でも、きっといつかは、ないものねだり的に我々は気付くのだと思います。

明治維新だって、黒船でペリーが侵略的に『開国しなさーい』と来なければ、起きなかったかもしれません(笑)

18歳の選挙権も然り。
報道各紙を見る限り、若者の素晴らしい意見を目の当たりにすることが多いです。18、という与えられた数字の魅力に今は多くの人間が躍動しているように感じます。

しかし、哀しいかな哀しいかな。
えてして、我々は皆、すでに参政権のみならず様々な自由や平等を勝ち取った教訓的な歴史を見事に忘れてしまっています。
間違いなく、古代でも、中世でも、近代においても権利を与えられた、又は獲得した際には大いなる感動があったはず。

きっと歴史は繰り返すのでしょう。

忘れる、忘れられることは決して悪いことではないと思います。

むしろ、我々はそうすることできっと今を生きているし、それでなければ、精神的に安定した文化的な生活などきっと成り立たなくなってしまうとさえ思います。

ただ、忘れてはならないこともきっとある。
では、どうするか。
駒は勝手には回りません。
誰かがきっと振り続けなければ。

さて、私の成すべきことは。