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無題 第壱 

こんにちは。
菊池大二郎です。

更新が久しくなりました。
連日,こちら山形は猛暑の日々が続いております。
一方で,大きな地震や豪雨に見舞われたり,火山活動の恐怖に隣り合わせの日本列島です。
自然の猛威の前ではただただ吐息を漏らすしかないのかもしれませんが,まずは健康に十分に留意していきたいものです。

さて,私事ではございますが,先日,33歳に相成りました。
だから何だということですが,歳を重ねるごとに徐々に素直に喜べなくなってきたような,微妙な感覚も感じています。
歳を重ねられるということ自体,本来は大変素晴らしいことですが,32歳という1年間に『何かを成すことができたのか』と最近,自問自答しています。

丁度,最近,手にして読んでいる関係の本が幕末の新撰組に関するものです。
私自身,特に,維新志士側の人間の本を好んで読みますが,手の届きそうな範囲(幕末を生きた方々と自分の祖父の時代が接合していることから)の年代,そして激動の時代に生きた若人の思いや考えにただただ触れたいだけなのかもしれません。
右も左も,上も下も,関係ないのです。
ただ,知りたいのです。

そこで,ふと気づいたことが。

局長の近藤勇が捕縛され,東京・板橋刑場にて斬首,京都・三条河原にてさらし首に遭ったのが満33歳のとき,ということです。

天晴れ(あっぱれ),という思いと私自身の身の丈の低さを痛感しました。

生き急ぐわけではありませんが,何かに急いている思いが私の中にもあります。
そうした思いを抑えるためにも,いつも自分自身には「急がば回れ」と言い聞かせるほどです。
ただ,幕末の時代を生きた彼らも「何か」をしなければならない,という急いた思いに駆られておったのではないかと勝手に思うのです。

対立する中にあっても,きっとこの日本をより良いものにしたいという志は一緒だったのです。

彼らが描いた未来とは。
希望した世の中のあり方とは。
人間として,人としての心意気とは。

我々が今どう応えられているのか,ということより,
まずは,私自身がどう考え,どう行動できているのかを考えていかなければなりません。

厳しい1年になりそうです。