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ナンセンス万歳。

こんにちは。
大二郎です。

さて、12月4日にお陰さまで初の一般質問をさせていただきました。
結論からいって、自己採点としては50点かな、と感じています。
議会や議場での技術がまだまだ足りず、自分の意図するところをなかなか理解していただけなかったことやこれまでの慣例に固執せねばならない現状にまだまだ意識改革までの長い道のりを感じる、そういった感覚を強く受けました。

ただ、賛否両論あるとは存じますが、父の菊池汪夫(ひろお)がかつて市政を混乱に陥れてしまったことにつき、公の場で謝罪が出来たことは息子としては一つのけじめをつけられたかなと正直感じています。勿論。「それは自己満でしょ」と言われれば当然かもしれません。要は、親子として縁が切れないもの、そして親子でも別であるという微妙な差異の部分を見極めながら、今後の政治人生でどう今の正直な思いを体言化していくか、ということだと思います。本当に頑張らなくてはいけないし、そうしていきたいと決意を新たにしたところです。

一般質問では触れられませんでしたが、この1年で常に感じておることがあります。
国の政治にしてもそう、地方の政治にしてもそう、何か「本当にそうなのかな」という疑問であり、一言で言えば、「それって何かナンセンスじゃない!?」という感覚です。行き着くところ、「地方創生」とはそもそも何なのか、我々はどこへ向かっているのか、分からなくなります。何か右へならえと言われれば右を見て、左にならえと言われれば左を向く。
正直、今の時代、そんなに単純なのだろうか。
そんなに単純な人間だらけなのだろうか。

生きる、ということ。
働く、ということ。
結婚する、ということ。
子供をつくる、ということ。
家庭を築く、ということ。
子供を育てる、ということ。
離婚する、ということ。
他にも………
お金とは?
地域とは?
社会とは?
食べ物とは?
食事とは?
そして、それぞれの幸せとは?

例えば……
お金をかけたら、子供は本当に増えるのか?
国を守るため、自治体を守るために子をつくるのか?
この世もまだ産めよ増やせよで時代はまわっているのか?

少なくとも私の感覚や人生観とはほど遠いところで政治の目標がつくられているような気がする。
これほどまで多様化するなかで政治が一番、時代をそして生きている人を見ていない気がする。
デパートをつくったからきっと人が来て、お金を落としてくれるなんて時代は正直終わっていると思うし、需要と供給のバランスも今以上にこれからはスピーディにそして残酷なまでに単純明快に進んでいくはず。
それだけ個人の考えや価値観も多様化していくなかで、右にならえ、左にならえ的な価値観一辺倒に政治がまわっていることが正直気持ち悪くてしょうがない。そう思っている人も少なくない、と思います(多数じゃないかもしれないけれど)。

価値観が多様化してきていることにこそ、私は村山市が生きられるチャンスがあると思うんです。
細かくその中身を論ずることは、改めて同志会だよりや意見交換会などを通じて発信して参りますが、例えばの話、子供を増やしたいのか、住む人を増やしたいのかってことは全然同じ話じゃないし、どっちに重きを置くかでそのチャンスの有無を決定的にするとさえ、正直思う。

最後に。
どの自治体もこぞって「若者」とは簡単に言うけれど、本当にその「若者」の動態をキャッチしているのか。
今の「若者」は、間違いなく思っている以上に複雑だと思う。
そして、間違いなく言えることは、私もその「若者」にギリギリかかっているかもしれないということであり、その感覚と視点を大事に市政に反映していきたいと思ふ。。

それでは、また!