観光を考える①

こんにちは。
大二郎です。

ようやく先日からこちら村山市も雪が舞い始め、山々そして田園地帯も雪化粧の頃合いとなりました。
全国的に暖冬と言われており、当市も例外ではありません。

昨日、一昨日と東京から友人夫妻が初めて村山市を訪れてくださったのですが、案内人として市内と巡ってみますと冬ならではの疑問符が頭の中をよぎります。
というのも正直、この季節、観光とは名ばかりでさほどお連れするところが正直ないのではないかということです。
議員たる私がこのような発言をするのもいかがなものかとは思いますが、素直な感想です。

特に雪に不慣れな地域の方々は「雪」そのものに対する興味は私たちが思っている以上に強い。
圧倒的な降雪の様子や雪化粧の景観に感嘆の声をあげてくださるが、何もそれは村山市だけに特異的な自然現象ではない。
中国地方や九州地方でも雪は降る。
そう考えれば、全国の半分は雪国といってもよい。

「観光」という素晴らしい言葉。
「来てけらっしゃい!(おいでください!)」という強い思い。
「ようこそ、我が村山市へ!」と声高に叫ぶ郷土愛。

ですが、現実問題として、こうした雪の舞う季節には格別、その言葉と思いに繋がるほどの受け皿がない…

雪だからといってしまってはどうもこうもない。
札幌市の雪まつりのように「観る雪」もあれば、ある自治体では「体験する雪」の視点から雪かきなどを体験してもらうことと優待を結びつけ誘致をはかっているところもある。

大事なのは、「雪だから…」はタブーといいことでしょう。

例えば…
この村山市は「信仰のまち」と自負してやまない私の観点からいえば、居合神社の置かれている環境が寂しいこと寂しいこと。
日本にひとつしかないのに…
居合道なんて季節関係なく色々できると思うんですが、観光客にはただ概要説明して、お参りして、はい即終了。
なんでしょう、この虚しさ…

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※居合神社の前にて林崎甚助公の仇討ち場面を再現する、とある夫妻の一幕

甑岳の山岳信仰もあるのに、いらっしゃる登山客や参拝者の駐車場もない(これは季節に関係ない問題ですけど)…
徳内神社もシーボルトライン上に寂しくポツリ…
徳内祭りのときだけ…
徳内神社と記念館もバラバラの位置にあるから何となく説明してもボヤケるし、一体感がない。

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※最上徳内記念館の母屋での一幕

などなど。

先の議会で、駅西にビジネスホテルが建設されるということで唯一私だけが質疑に立ち、一般質問の場ではないので発言は差し控えましたが、1年を通して、そして四季を通じてこの村山市に足を運んでもらうような大前提の受け皿を用意しなければ泊まるところだけ造られても本当に市としての経済効果なんてあるのだろうか?と思います。

村山市の良さに「自然」をあげるならば、自然に適合した、そして自然を逆手にとるような発想で我々はこの荒波を渡っていかなければいけないと思います。

第5次総合計画の基本目標のひとつである『913万のファンづくり(市民ひとりが毎日ひとりのファンをつくる:人口2万5千人×365日)は、そう簡単なことじゃない。私だって毎日出来ているかどうかは正直怪しい。

ただ今回訪れた友人夫妻は今日から村山市のことを隣の誰かに広めていってくださると思うし、大事なことはこうして当市にお越しになったた方が全国又は世界に縁という灯火を繋いでいってくれることを続けていくしかないということだろう。

観光シリーズでたまにこんな話をこれからも綴って参ります。
では!

追伸
いつもブログでの文章が途中から口語体みたいになってすいません。
力が入ってくるものでして、どうかご勘弁を。